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飛鳥(奈良)旅行(2001年9月17日)

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 神戸・三宮駅を朝8時に出発し、大阪で乗り換え、天王寺駅から近鉄線に乗り換えて、飛鳥に行きました。飛鳥に着いたのは10時頃。いよいよ出発です。
 まずレンタサイクル屋さんを見つけ、自転車を借りました。いざ、第一の目的地、岩屋山古墳へ!

<岩屋山古墳>
 レンタサイクル屋さんの話では、すぐに見つかるという岩屋山古墳。確かにすぐに見つかりました。しかし・・・、こんな民家の中にあるとは・・・。驚きました。
↑岩屋山古墳の入り口階段下
 石段を上がったら、写真のようにどど〜んと羨道がお出迎え(^^;。ちょっと中に入るのは抵抗ありましたが、折角来たのだから、と入ってみました。この横穴式石室は花崗岩の切石を用いて構築されているとのことです。
 被葬者は斉明(皇極)天皇という説があるようですが、誰だかは特定できていません。七世紀中頃から後半の貴人の誰かが被葬者でしょう。
↑入り口〜羨道



<牽牛子塚古墳>
 岩屋山古墳を後にして、次に向かったのが牽牛子塚古墳です。
 FREKI(NIFTYの歴史フォーラム)で「道を間違えるとやっかい」とアドバイス頂いていたので、慎重に道を進みました。(でも、せっかちなので、スピードは出してかも〜(^^;。)親切に道しるべがあったので、それに従って進みました。さすが、観光客に優しいですね(^^)<明日香村の観光協会(???)
 でも(道に迷ったわけではありません!)ひどく不安になりました。だって・・・、こんな道なんですよ(^^;。
 畑の道を登って登って、道が無くなりそうになったときに、畑仕事をしているおじさんに「牽牛子塚古墳ってどこですか?」と聞いてしまいました。そうしたら「この上だ」と道を示してくださったのですが、とうてい自転車で上れるような道ではありませんでした。なので、途中で自転車を降り、歩いて登りました。
↑牽牛子塚古墳に至る道
 石槨は4m×6m×2.7m以上の凝灰岩をくりぬいて作られている横口式石槨で、中央部に間仕切があって、追葬出来るような構造になっているそうです。
 被葬者は岩屋山古墳同様斉明(皇極)天皇という説や孝徳天皇の皇后・間人(はしひと)皇女(天智天皇の同母妹)説などがあるようです。
 写真を撮っていたら、きっと周辺の高校生だと思いますが、先生に率いられて10名ほど見学に来ていました。私が来た道とは違う方から登ってきたような気がしましたが、そんな道あったかな?私も一緒に説明を聞きたいところでしたが、まだまだ回らなければならないところが沢山あったので、早々に立ち去りました。
↑牽牛子塚古墳 全体像
 牽牛子塚古墳から降りてきたら、先程道を教えてくださったおじさんが、待っていてくださいました。「すごいところだろう。夜は怖くて行けないよ」って仰っていました。おじさん、ありがとう!
 坂道を下ったときに気が付いたのですが、この自転車、ブレーキが利かない!ということで、自転車を替えました。整備してよね!
 コンビニを見つけたので、500mLのペットボトルのお茶とお昼ご飯を買いました。この日はとっても良い天気で、長袖を着ていた私はとっても暑かったです。中にタンクトップ着ていたので、長袖を羽織る形で着直して、日焼け止め塗って再出発です。
↑石槨入口付近



<高松塚古墳>
 車道の横には、ちゃんと自転車用の道もあって、快適に進みました。
 途中、道じゃなくって田圃のぬかるんだあぜ道を通って(迷って(^^;)泣きそうになりながら、高松塚古墳に到着!イメージとの違いにびっくりしました。
 竹がすごい!壁画がとても有名ですが、周りを見たのは初めてで、正直『え〜』と言う感想でした。だからかな、罰が当たったのか、ここでカメラのレンズを落としてしまいました(;_;)。ピントを合わせるところが回らなくなってしまったズームレンズ。さようなら〜(;_;)。
 あーあ、と思っていたら、良いことが(^^)。この日は月曜日で、壁画館は休館のはずなのですが、なぜかこの日は開館していて、石槨の壁画を見ることが出来ました!白虎・玄武・青龍(^^)、わーい。(四神と言えば『BASARA』とか『火輪』ですね〜(^^)。漫画の紹介で書きま〜す。)
↑高松塚古墳全体像



<中尾山古墳>
 高松塚古墳から近いところに中尾山古墳があります。小山の上にあるのですが、自転車禁止の文字列があったので、歩いて登りました。辛かった〜。
 一周できるように整備されていました。
 この古墳は三段築成の八角墳で、石槨は6枚の磨かれた花崗岩から出来ているそうです。内部の寸法が0.9mX0.9mX0.93mと小さいことから火葬した骨を納めた墳墓であると考えられています。
↑全体像



<鬼の雪隠・鬼の俎>
 鬼の俎(まないた)は、横穴式石槨の底部で、「鬼の雪隠」と組み合わせると、立派な石室が出来ます。
 言い伝えでは、鬼が旅人を捕まえて、この俎で料理し、「鬼の雪隠」で用を足したとか。
↑鬼の俎
 鬼の雪隠(せっちん)は、横穴式石槨の側壁と天井部分。花崗岩だそうです。
↑鬼の雪隠



<亀石>
 技術的に見ると、鬼の俎・雪隠の同時期の建造物だそうです。
 用途については諸説あるようですが、なんにせよのんびりとした「亀」さんですよね(^^)。
↑亀石



<橘寺>



 今回の旅唯一の「お寺」です。
 写真を撮るつもりはなかったのですが、親子連れが写真を撮っている姿をみて、思わず撮ったものです。
 聖徳太子縁のお寺として有名ですね。建物の配置は「山田寺式」で、飛鳥寺式と四天王寺式の中間と言える様式です。
 彼岸花が青空に映えて美しかったです。でも、暑かった(^^;。
↑現在の橘寺



<飛鳥川>
 万葉集によく出てくる飛鳥川。今回の旅では、「飛鳥人が見ていた風景を見てくる」と言うのも重要なテーマとしてあったので、外すことの出来ないビュー・ポイントでした。
 この写真は、石舞台古墳公園に入る真横で撮ったもので、橋の上から撮りました。水が綺麗で、暑かったのもあり触りたい衝動に駆られましたが我慢しました。
↑橋の上から撮った写真



<石舞台古墳>
 石舞台古墳に着いたのが大体12時。お昼ご飯の時間です。先にコンビニで買っておいたおにぎりやパンを食べました(^^)。空気が綺麗だからか、お天気が良くてすがすがしかったからか、よく運動したからか、とっても美味しかったです。
 教科書によく出てくる石舞台古墳。蘇我馬子の墓とする説が有力です。
 30数個の巨石を積み上げて作り、重さは75tを越えると推定される日本最大級の横穴式石塞です。なぜ石が剥き出しになっているのかは不明だそうです。
↑石舞台古墳 全体像
 玄室底部から羨道中央部を徹排水溝が切ってあるのがよく分かります。
↑石舞台古墳 外から見た羨道
 玄室の長さは約7.6m、幅約2.2mです。
↑石舞台古墳 玄室



<伝 飛鳥板蓋宮跡>
 皇極天皇の宮殿である飛鳥板蓋宮跡だとすると、蘇我入鹿が殺された「乙巳の変」の舞台です。(天武天皇の飛鳥浄御原宮とする説も有力。)
 田んぼのど真ん中にあり、相当見晴らしが良かったのではないかと思います。
↑伝 飛鳥板蓋宮跡



<酒船石>
 「亀石」と並んで、用途が余りよく判っていない酒船石です。
 迷ってしまって(というか、伝 飛鳥板蓋宮跡を後にし、道路に戻ろうと思っても戻れなくて(^^;)、飛鳥民俗資料館の方まで行ってから引き返して見つけた所です。
 花崗岩で出来ていて、南側の一部は後世にになってからどこかに運び出されてしまったようです。
 石の上面に切ってある窪みを利用して、お酒を絞ったか、薬や油を作ったか、といわれています。
↑酒船石



<万葉文化館>
 訪れた2日前(2001年9月15日)にオープンしたてという、レア(?)な所に寄ってきました!
 日本画展示室は、「万葉集の歌からイメージされる世界を日本画で描く」と言うもので、私の感性と合わないものも正直ありましたし、当時の人が見ていた風景というものを考えたときに、どうなのかしら?と疑問に思うものがありました。でも、イメージが合うものは印象深く目に映りました。あまりじっくりと見ることが出来なかったのですが、また見に行きたいと思いました。
 特別展示室は面白かったです。古代銭鋳造方法が復元されていて、富本銭の本物も展示されていました。また、珠の作り方などは初めてみたので、面白かったです。
 一般展示室は・・・、小学生とおぼしき見学者の運動場と化していたから(^^;か、あまり良い印象はありませんでした  
↑万葉文化館 中庭
 炉跡の遺構をそのまま中庭として見学できるように展示してありました。遺構を間近に見ることができるのは嬉しいですね。
↑万葉文化館中庭の炉跡群



<亀形石造物遺構>
 レアもの第2段!最近(2000年正月)に発見された石造物です。万葉博物館の真ん前にありました。
 「水(液体)」を排水するシステムであることは見て取れますが、一体何に使っていたのでしょうか?
↑亀形石造物遺構を中心に
 この遺跡発掘の際、皇朝十二銭の饒益神宝(にょううやくしんぽう)も出てきたことから、後世に至まで機能していたことが判ります。
↑亀形石造物遺構  全景



<水落遺跡>
中大兄皇子が660年に作らせた水時計の遺跡です。
↑水落遺跡
 のどかな風景だと思いませんか?
 飛鳥の地は、想像していたよりも平でした。
↑水落遺跡から振り返ったときの風景



<甘樫の丘>
 ラストに訪れたのは甘樫の丘です。
 甘樫の丘は、古くは盟神探湯が行われていた場所で、蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子の大邸宅があったところでもあります。
 この写真の中央部に、青井ビニールシートが写っているんですが、そこが「亀形石造物遺構」です。(判りませんね(^^;。)
↑甘樫の丘からみた東の風景
 標高148mの丘らしいのですが、結構きつい登りでした。
↑甘樫の丘に至る道
 残念なことに、私にはどの山がなんなのか、さっぱりわかりませんでしたが、飛鳥の人々が見ている山というのは、本当に平地の中に「でん」とある山なんだなぁ、と思いました。
↑甘樫の丘からみた西の風景



 16時頃、橿原神宮前駅に着き、東京への帰路につきました。
 一人旅にしては、沢山回れて良かったです。
 今度はもっとゆったりとした気持ちで見学できたらと思います。

 今回の旅で色々感じたことはありましたが、それは又の機会に(^^)。




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2001.11.4 作成